「1本立てる」ことと「地域との共生」

学生時代は、幸せだったのかただの平和ボケだったのか、自分の将来のことなどまともに考えたことがなかった。就職なんていうのは自分とは無縁だと思っていた。傲慢だったのか、何だったのか、今となってはさっぱりわからない。
が、本音は、どうやって生きていくべきかということは、それなりに考えていたのだとは思う。

学童保育の指導員をしたり、本屋さんでバイトしたり、バンドを組んでみたり、色々やってみて、いよいよ、何だかこんなことをやってたらダメだなと思った時に、バイト先の本屋(正確には洋書の輸入卸)に就職させてくれと泣きついたら、ここはそのうちツブれるからもっといいところを紹介すると言われた。そして言われるままに就職してみた。
結局、その会社も5年でツブれたのだが、そこでの5年間が今の生活を支えているのだという意識は明確にある。
そこでやっていたことはかばんの営業で、まともな仕事をちゃんとやったという自覚はない。でも、営業で西日本全域を回って、小さなかばん屋さんを訪問している中で、「君らは中央にいるんだから、もっといろんな情報をくれなきゃ困る。こんな閑古鳥のなく商店街の店に来なくても良いから、的確な情報をくれ」と言われたことが、僕の問題意識に火をつけた。
それからは、その言葉の本当の意味や、どうすればその期待に応えることができるのかと考えはじめた。その課題を解決する過程で、営業という職種に感じていた行き詰まり感を、払拭できそうな気がしていた。
しかし、それから間もなく社内の空気自体が重苦しくなってきていて、僕らが従事していた部門は縮小しはじめ、僕自身も小売店を一軒ずつ回るというスタイルの営業からは外れた。それから1年くらい経って会社はつぶれた。

その後、大阪市内のリサーチ会社で、社長のかばん持ちみたいな生活を4年くらい続けた。最初の3年くらいは主任研究員の補助的な作業ばかりやっていたが、最後の1年に「地方の元気な小売店」を100件ヒアリングしてまわるという仕事をやって、僕は商売って面白いと強く感じた。
地方の小さな小売店というのが、どんどん寂れて行って元気がない、と言われていた時代だったけれど、そういう中でも自分たちの強みや地域の特性などを「活かして」成長し続けるお店は当然あり、そういうお店を経営している方々のお話を聞いては、商売ってそういうものかといちいち感動した。

要点は、第一に、ハーストーリーの日野佳恵子氏も著書の中でおっしゃってるように「1本立ってる」ところが「元気」と言われているということだ。「1本立つ」というのは、自分達の持っている「強み」を明確に表現できているということだ。しかも必然的に。

第2は、地域との共生ということ。商店街内での連携という意味ではどこも苦労している様子はわかったが、地域の生活者にメリットがあると感じさせることに成功している店が「元気」と言われており、実際にどなたも「周りの発展がなければ自分達の発展もない」とおっしゃっていた。
しかし同時にインターネットも普及し始めた頃で、ネットを使った情報の受発信が話題になっている店も出始めていた(その何軒のサイトはインターフェイスも当時とさほど変わらず、ビジネス自体も健在だ)。地域での連携は諦めた、これからは地域を越えて、問題意識が共有できる人たちと連携していくと言う商店主もいた。

インターネットを活用した起業が簡単に出来るようになった現在ではどうだろうか。僕自身、大阪府の端っこの地方都市に住んでいる。大阪市内には電車で15分くらいで行ってしまう。駅前の本屋さんは「地元の人は地元で本なんて買ってくれない」と言い、地元の生活者は「地元には本屋さんがない」と言う。本屋さんだけではない。「駅前に○○があったら流行ると思うけどなあ」という話はよくきくが、誰もその通りにしようとはしない。土地の権利の問題だとか、いろいろと障害はあると思うけれど、こんな場所では立地が悪いという評価をされるのが一番なのだろうと思う。
しかし、例えば、これだけネット専業の小売店がたくさんあって、そこそこ評判にもなってくれば、実店舗を構えてやてみようという気にはならないのだろうか。ネットであれ売れるということは他ではないような価値がそこにあるからだろうと思う。要するに1本立っているわけである。ネットで売れて、大都市の百貨店の中に店を出すという話は聞いたことがあるが、地方都市の駅前に、というのはそろそろ出始めてもいいだろうと思うけれどあまり話題になっていない。そこまで儲かっているところがまだまだ少ないのか、それとも単に、僕が無知なだけだろうか。

かなりとりとめもない文章になってしまいましたが、お許しを。