というカテゴリーを作ってしまった。

それくらい、今はまってますよ。笑。年甲斐も無くさ。
たかがポップス、されどポップス。
唄に何かを具体的に求めることというのはないですけど、時々何気なくスピーカーから流れてくる歌声とかメロディとかにぐっときてしまうことがあるじゃないですか。
で、まあ、ポップスというのは若者だけのものではないのだ!と再認識したわけであります。
最近、『サザンな大人たち』といったような本も出ていて、大人になり切れない30代や40代に苦言を呈する声も大きくなってきていて、それはそれで、僕自身も同感だったりします。それは自分に対して、もっとしっかりしろよなあと思ったりすることでもあるのですが。
しかし、そういうこととは違うのかもしれませんが、家族にさえ言えないこと(些細なことですけど)であったりとか、将来に対する不安だったりとか、そういうものがまったくないかっていうと、そうではなく、ぶっちゃけあるわけですよ。で、中村中さんの音楽を聞いて臆面もなく涙を流している大の大人がいるという今井智子さんの文章を、中村中さんのホームページの中で読んで、ああ、それは僕のことだろうか?などと思ったのもあながち冗談ではないのです。

しかし、ここまでしつこくしつこく聞きたくなる感情というのは一体何かしら?とは思うのですが、それは、この人が殆ど毎日かいているブログを読んでいて、少しわかったような気がします。

…「今卑屈になってしまってるのは、それが「今」だから存分に駄目になればいいと思う。…

といった、今日更新されていたエントリーの中の一部分を読んで、気づいたのですが、この人の唄を最初聞いたときに、何だかとっても救われたような気持ちがしたんだと思います。この一文があらわすような、いろんな物を容認しようとする姿勢といいますか、「大丈夫だよ」っていう、橋本治さんがその昔、『恋愛論』の中でのたまったような意味合いがここにあるのではないかと。
そういう意味で、この日記は、中村中さんへの感謝を込めて書いていますけれども、末永く、良い唄を作り続けて欲しいというファン心理だけ、届けばそれで十分ですな、私は。

かしこ